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松隈洋「前川國男の神奈川県立図書館・音楽堂と戦前のコンペ案」レポート
松隈洋さんをゲストにお招きし、前川國男についてお話いただきました。松隈さんはかつて前川國男建築設計事務所に在籍していて、前川國男の生誕100周年となる今年、連続セミナーと展覧会を企画なさっています。 1954年に竣工した神奈川県立図書館・音楽堂は、前川國男の代表作であり、彼の主要なテーマであったテクニカルアプローチが試みられていることで広く知られています。 本レクチャーで松隈氏が強調なさったのは、この作品で初めて前川の平面計画の手法が実施されたのではないかということでした。そして、その源流は、戦前の1943年に行われた在盤谷(バンコク)日本文化会館のコンペで2等となった計画案の中にあるということでした。神奈川県立図書館・音楽堂の配置計画は、2つの建物をずらして配置し、それらをブリッジで繋いで一体化しています。そのことで敷地を分割して2つの広場とし、その広場と開放性の高い建物の内部とを連続させています。こういった手法がコンペ案にも見ることが出来ることを解説していただきました。 一方、このコンペで1等となった丹下案には、広島ピースセンターに繋がるシンメトリーで象徴的な空間構成を見ることが出来きます。そして、丹下案と前川案を、前者は左右均整の荘重な形式で、後者は自由な伸びやかな形式と比較した浜口隆一の評論を引き合いに、この戦前のコンペ案には、戦後の日本を代表する2人の建築家の設計手法の源流を見ることが出来ることをお話していただきました。 パネリストが加わってのディスカッションでは、様々な角度から討論が行われました。その一つとして、戦争の反省から戦後に変わったこととして、民族式の屋根が乗った帝冠様式がタブー視されたことがお話に挙りました。それに関連して、この会の1週間前まで北朝鮮に行っていらした五十嵐さんから、戦争で開放され、そして今でも戦争中である北朝鮮では帝冠様式風の建築物が今でも多かったということをお話いただきました。その他に、戦後、丹下健三が都市計画をしていたのに対して、前川國男は「上から網を掛けたようなものは作らない」として都市計画を行わなかったという違いについての指摘がありました。これは丹下は国民国家のための建築を志向していたのに対して、前川は市民のための建築を目指していたという違いにあるのではないかという指摘にも繋がり、彦坂氏の提起する象徴界、現実界の作品ということにリンクして、さまざまな議論がなされました。 (画像 上:神奈川県立図書館・音楽堂、下:在盤谷日本文化会館コンペ2等・前川案)
by artstudy
| 2005-08-18 01:01
| 第3回
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