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1945年は、原爆が登場し、日本が終戦を迎えた歴史的に重要な区切りの年で、新たな美術の始まりの年でもあります。敗戦体験と終戦直後の《敗戦美術》について、自身も17歳の時に特攻隊員として出撃する寸前に終戦を迎え、戦後に美術を始めた画家の池田さんにレクチャーをしていただきました。
池田龍雄「《敗戦美術》と敗戦体験」レポート レクチャーで池田さんは、戦前から続いている美術を否定し乗り越えて違う形で作り直そうという気持ちが強かったこと、そうした中で岡本太郎や花田清輝の芸術活動に参加し、アンフォルメルとシュルレアリスムの間で暗中模索していたこと、それが50年代には朝鮮戦争を背景に、大衆を念頭においた新しいリアリズムという考え方が出てきて、安部公房の唱えた「ルポタージュ文学」という新しい文学の方法論を絵画の中で試みた「ルポタージュ絵画」へと移行していった自作の変遷などを、『自画像』『網元』などの作品や自身の体験を通じて話されました。 パネリストが加わってのディスカッションでは、日本の美術が終戦で一旦リセットされたわけではなく、戦前から活動していた作家たちは、美術を戦前からの継続性の中で戦後に展開していったという指摘、モダニズム建築が人民のための建築として規定されていく過程が、池田さんの美術が大衆のためのリアリズムへと移行していく過程に重なるのではないかという意見、岡本太郎の芸術についての議論など様々な討議がなされました。 (日比谷) (図版)上:池田龍雄/網元(内灘シリーズ)/1953 中:池田龍雄/赤と黒/1951 下:池田龍雄/10000カウント/1953
by artstudy
| 2005-08-31 01:06
| 第3回
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