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建築にも、美術にも、いろいろなものがある。名品、凡品、下品。名作、傑作、凡作、駄作、問題作。有名品、無名品。人間は多種多様だから、いろいろあって良いのです。 書画骨董の世界では、八〇%が贋作であるといわれます。名品というのは少ないから、名品だけでは社会の需要は満たせない。贋作や駄作、凡作があるから、書画骨董店も、商売する品数が足りる。顧客も、買っていくものがある。社会が形成できるのです。こういう事情は建築でも、現代美術でも同様で、贋作や、凡作、さらには下品、下手物といわれるものは、なくてはならない重要なものなのです。建築にしても、美術にしても、実は平凡な建築/美術こそが、たくさん建てられ/作られていて、社会的な機能性を満たしている。こうした駄品こそが、人間の社会性を生産しているのです。 《無社会》という造語があります。フロイトが人間の「意識」に対して「無意識」を発見したように、人間の社会の下に《無社会》があって、人間は無意識を生きるように、社会の外の《無社会》でも、プライベイトな生活している。《名品》というものは、何よりも《無社会》という私生活にに大きく関わって存在している。 まず、名品というのは、ジーッと凝視できる作品である。凝視して、鑑賞ができる。鑑賞するというのは、人間の精神活動として、瞑想するのと同様に、重要な態度なのです。しかしこうした凝視や鑑賞は、人間が、俗世間の外の私的な《無-社会》に出て、はじめて可能になる。最近は鑑賞できない人が増えているといいますが、しかし誰にでも、ジーと見つめることはできるのです。 名品というのは、「ちゃんとしたもの」である。ちゃんとしたアーティストが、ちゃんとした制作をしている。いい加減な制作では、名品はできないのです。そして、普通に、まっとうな生活を、ちゃんと生きている生活者には、何が名品であるのかが、理解できる。 贋作や駄作や下品なものが《社会》にとって重要であるのと同様に、名品は、やはり人間の私生活である《無-社会》に必要なのです。 少数でも良いから名品がないと、多くの贋作や駄作、下品なものも、その空虚な魅力が生きてこないのです。
by artstudy
| 2004-10-10 13:11
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